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2016/05/17

川崎市立川崎病院 救急科

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救急医として育ててくれた母校のような病院で
患者さんに寄り添う全人的医療を

都心へ通勤する世帯、高級住宅地に居住する富裕層、そして京浜工業地帯で日本の経済成長に貢献した年配者など、さまざまな社会的背景を持つ人々が共存する神奈川県川崎市。同市の中核病院である川崎市立川崎病院には、2006年にER型の救急救命センターが開設されました。
今回登場いただくのは、同院での初期研修後、小児科、総合診療科レジデントを経て、救急科医師となり、現在は研修医の育成にも携わる土井賢治医師。これまでの歩みや医療にかける想いなどを伺いました。

初期研修先に川崎市立川崎病院を選んだ理由をお聞かせください。

土井医師:初期研修では、知識や技術を学ぶとともに、患者さんの人生にも触れたいと考えていました。川崎という地域性と、市立病院にはセーフティーネットの役割もあることから、当院にはさまざまな社会的背景の患者さんが受診されます。当院は700床以上の急性期病院で、ほとんどの診療科がそろい、急性期の症例も豊富です。症例報告レベルの疾患と出会うことも珍しくありません。見学での雰囲気も好印象だったことも、入職したい気持ちを後押ししました。部長クラスも10年以上のオーベンも患者さんに丁寧に接していて、学生にも親切に話してくださり、科の垣根が低い印象もありました。また、研修医数は1学年が10名前後で、緊密なコミュニケーションがとれる人数だと感じたからです。

後期研修で小児科を専攻されたきっかけは何だったのでしょうか。

土井医師:もともと子どもが好きで、“病気だけではなく、その人全体をみる医師像”を持っていたからです。また、医師不足と言われている小児科医になれば、より人の役に立てるのではないかと思ったからです。小児科を初期研修でまわったときに、“成長”という要素も加味して全身をコツコツ診ながら、患者さんの悩みを取り除く経験ができました。魅力的な上級医も多かったこともあり、小児科へ進むことにしました。

後期研修が始まって1年半後に転科されたそうですね。

土井医師:はい。担当した小児患者が大量下血で、顔面蒼白のショック状態に陥ったことがあったのですが、そのときに適切な緊急対応をするスキルを十分に持ち合わせていませんでした。目の前の患者さんが命の危険に直面しているときに、“その緊急度を適切に評価し、安定化させる技術”は、医師として最低条件のスキルなのではないかと強く思うようになりました。
「急性期の患者さんを診るスキルを身につけたい」―そんなとき、入職前年に新設され、年々アクティビティが増していた救急科での研修体験が鮮明に蘇ったのです。

そのときに、現在診療にあたっている救急科へ進まれたのでしょうか。

土井医師:救急ではなく総合診療科です。救急医として患者さんを診ると、診断・治療した数時間後には専門科に割り振るため、「点」でしか診られません。
一方、内科医では病気の経過を追うので「線」として診ることができます。最初に総合診療科で線として患者さんを診てから、救急科で点として診た方がより適切な対応ができると考えたので、総合診療科へ進路を変更しました。「回り道をしているかな」と思ったこともありますが、今振り返ると全てがつながっていました。

今までの経験が現在の診療で、どのように活かされているのでしょうか。

土井医師:小児科では保護者とのコミュニケーションを大事にし、家庭環境を親身に聞く必要があるため、社会的背景を深く聞き込む習慣が養われました。また、小児疾患にはエビデンスが少なく、病態生理から細かく体に何が起きているのかを推理するトレーニングを積んできたことも成人の診療で役立っています。
現在の救急科に至るまで、進路で揺れ動いた私の希望を受け入れてくださり、温かく育ててくれた当院は、母校のような存在です。今は、母校(当院)の後輩が僕よりも効率よくキャリアを築けるような道しるべとなって、当院に恩返しをしたいと考えています。

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