受講者数500,000名突破記念!Dr.KOSHIRO Interview 完全版

2019/09/30

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メック講師として、現役医師を続けながら多数の医師国家試験合格者を育てたDr.孝志郎の講座受講者数が、2019年、500,000名(※のべ人数)を突破いたしました。これを記念して、Dr.孝志郎の特別インタビューを行いました。満を持して完全版をお届け致します。

―― まずは先生のこれまでのキャリアをお聞かせください。
Dr.孝志郎:宮崎大学卒業後、初期・後期研修を東京都多摩北部医療センター(以下、多摩北)で研修しました。たすきがけで当時の東京都立府中病院(現在の東京都多摩総合病院、以下、多摩総)でも研修しています。後期研修修了時には内科認定医を取得しました。
 ぼくのファーストステップは神経内科とER。ERは双方の病院でかなり鍛えられました。神経内科は学生時代から好きだったし、時代の流れにも乗りました。当時、心原性脳塞栓症急性期に使用する薬、「t-PA」が出てきて、同じく当時注目されはじめていた「脳卒中ガイドライン」にも記載されるようになったんです。
 「t-PA」が出てくるまで、脳卒中は諦めるような時代でした。脳の血管が詰まったら仕方ないよね、って。それがこの薬が出てきたことで、早く対処すれば血栓が溶かせる、ということになりました。これは大きな変化です。このような時代の流れの中にいたわけです。
 多摩北は神経内科と脳外科がとても仲がよく連携していたので、ぼくはどちらの指導医にも熱心に教えていただくことができました。ここで外科の部分もかなり鍛えられたと思います。脳卒中という一つの疾患を内科外科両方の目で見ることができるようになりましたし、脳卒中の患者さんも毎日来ていたので、臨床という意味では本当に濃厚な勉強ができました。
―― 平行して昨年話題になったPOEMSの研究もされたとうかがっています。
Dr.孝志郎:その通りです。プラズマサイトーマPOEMSの研究に、医者としてすごく燃えました。
 実は大学時代にも、ATLの研究のお手伝いをしていました。お手伝いなのでなんの実績もなかったんですが、この頃から白血病の新薬治療に熱意があったんです。
 そんな過去があり、改めてプラズマサイトーマPOEMSの研究に出会い、これに明け暮れました。POEMSはポリニューロパチーを合併するタイプの血液のがんなので、神経内科の先生も血液の先生もすごく力を貸してくださいました。
 ぼくはこの研究で、過去に薬害を起こしたサリドマイドを個人輸入して使ったんです。使用を承諾してくれた患者さんには本当に感謝ですよね。その患者さんは嘘みたいに症状が改善して元気になられました。
これは学術として発表するべきだ、と指導医にも院長にも勧められましたが、悩みました。サリドマイドは当時ものすごい悪役でしたから。でも2006年、日本血液学会と日本臨床血液学会の合同総会で、「サリドマイドが著効した治療抵抗性POEMS症候群」という論文を発表しました。
 日本の先生には、薬が薬だけにやはり評判が悪かったですね。だけど海外の先生は非常に好意的に捉えてくださいました。いつかは花が開くよ、って応援してくださって。
 そして昨年、この研究をやってよかった、と改めて実感する出来事がありました。千葉大が研究を続け、たくさんの症例を集めてサリドマイドの正当性を証明してくれたんです。日本内科学会ではPOEMSが、「21世紀に入って最も予後が改善した血液悪性腫瘍の一つ」と評価されました。その理由がやはりサリドマイドだったんです。
 ぼくの発表が2006年、当時日本にあった80の大学病院のなかで先駆けて発表できたということに、自己満足かもしれませんけどとても満足しています。実際、多くの患者さんを救うことができましたし。先んじる、なんて偉そうに言えないけれど、「先駆け」にはなったかな。
 ぼくは神経内科を選んで、そこから子供が2人産まれたと感じています。臨床で向き合った心原性脳塞栓症とサリドマイドPOEMSの研究です。この二つが僕のキャリア形成の重要なポイントとなりました。臨床、研究ともに大変充実していましたね。

―― とても濃密な研修医時代を送られたのですね。研修終了後についても教えてください。
Dr.孝志郎: 研修終了後は在宅診療医として勤務しました。在宅診療に進んだ理由としては、2006年の医療法改正で、在宅診療を浸透させるための制度が新設されたことが大きいです。 この医療法改正については2018年度の「LAST MESSAGE」でも問題にしました。
 ここでぼくは、「在宅診療の時代がきたな」と思いました。だから研修終了と同時に在宅診療に携わることができる病院を探して、在宅診療24時(笑)を回す歯車になりました。ここでも時代の流れを読んで乗ったわけですね。
それと同時に、ぼくはPOEMSの研究をしているとき、白血病やプラズマサイトーマで力及ばず亡くなっていく人もみてきました。だから在宅で、患者さんの一生にとことんつきあわせていただきたい、という思いも強くありました。
 更にいえば、在宅での需要の半分が神経内科の領域なんです。まひ、しびれ等の神経症状やアルツハイマー、パーキンソン病といった神経難病です。ぼくは医師となった最初の4年間で臨床は脳卒中、研究はPOEMSに絞って、これってかなり特化しすぎな感がありますよね(笑)。ですからこの先はもっと広い疾患と多くの患者さんに触れあいたい、という希望が臨床医として生まれていました。
 時代の流れを読んで在宅診療を選んだわけですが、この読みが当たって、ここでは医師国家試験に出てくる多彩な神経難病のほとんどを診ることができました。
 当時、神経内科で認定内科医をとって在宅診療に出る医者は、ぼくくらいだったんじゃないかな。神経内科に進む人自体が少ない上に、進んだ人は研究の道に行く人が多いんですよね。だからぼくは病院からものすごく重宝されました。やる気があれば神経内科からの在宅診療は一つのルートだと思います。
 そして在宅診療医をしながら、2007年にメック講師になりました。当時は徹夜で診療してそのままメックに行くことがよくありましたね。
―― 出勤するとオフィスの床で倒れて寝ていた先生に何度も遭遇しました(笑)。
Dr.孝志郎:まさにぼくの灼熱の時代です(笑)。
 これは個人的な意見ですが、「鉄は熱いうちに打て」っていうじゃないですか。その「熱いうち」って医師でいうと20-30代だと思うんです。だからぼくの30代は「無理」ではなく「無茶」のレベルでがむしゃらに働きましたし、勉強もしました。
 ぼくは神経と血液、在宅診療に携わりましたが、実はその間循環器の勉強もしていたんです。研修医時代に心原性脳塞栓症に取り組んでいたことはお話しましたが、基礎疾患のほとんどが心房細動と弁膜症なんですよね。これは心臓の勉強もしないといけないな、と思いまして、最初は自分のつてで循環器内科の先生に教えていただきました。いつしか心臓外科も勉強したい、と思うようになって、MECエージェントに相談して病院を紹介してもらいました。その病院の心臓外科には、たまたま大学の先輩がいらっしゃって、その先生にいろいろと教えていただきましたね。オペ室にも何度も入らせてもらって、かなり深く勉強できました。
 遡れば多摩総での研修医時代も心臓外科のオペ室にはかなり入っていたんですよ。ERの後にしょっちゅう行っていました。心臓外科の先生はよく褒めてくれてかわいがってくださいましたね。縫合練習で多摩総中のトイレットペーパーをかき集めて縫い合わせたりしていたので、結構ざわつかせてもいましたけど(笑)。
 この経験もあり、開業した後も心臓外科にはよく呼んでもらっています。勉強のために喜んで駆けつけていますよ。

 

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医師国家試験の先の、若き医師たちの「未来」までをも見据えた、「生きた症例報告」の場、「サマライズ」、「LAST MESSAGE」

―― 開業のお話がでましたが、メック講師と平行して開業された現在と、先生のこの先のキャリアについて教えてください。
Dr.孝志郎:クリニックは2015年夏にオープンしました。おかげ様でクリニックには、日本のみならず海外からも口コミで患者さんがいらっしゃるようになりました。大学病院などで診断がつかなかった患者さんも次々といらっしゃいます。それにしっかり診断をつけてあげられるように、一人ひとりとじっくり向き合っています。通常、街のクリニックでは見つからないような病気がいくつも見つかっているんですよ。
 そして、ぼくのキャリアの行く先はやはり「総合診療」。神経内科で医師として根を張り、白血病の研究と心臓外科で幹を育て、大樹へと成長させる最後の一つが総合診療だと思っています。
 メック講師としても医学教育への熱意がますます高くなっています。医師として講師として、今ぼくはものすごく充実しています。

―― 先生が「総合医」としての道を究めるにあたり、総合医としてのキャリアの積み方に迷う医師に向けてアドバイスと、医学教育についての思いをお聞かせください。
Dr.孝志郎:総合医に必要な条件は「救急」そして「在宅診療」です。これをある程度やっていること。これが総合医の必要条件だとぼくは考えます。
 若い先生はいろいろとやってみたいと思いますが、要所要所で必ず救急と在宅診療に触れましょう。それが総合医としての頼りがいに繋がります。ERで救急ができるぞ、ってなると頼りがいがありますよ。ぼくは医者ってつまるところ頼りがいだと思っていますから。
 在宅診療もやはり時代の流れで増えていく部分で、そこは総合医が一番力を発揮できる場所です。
―― 先生が今「時代の流れを読む」と、これからはやはり「総合医」といえるわけですね。
Dr.孝志郎:そうです。救急と在宅診療、これは縮小するわけがないので。地味で嫌だって思う若い人もいるかもしれない。それならプラスアルファのオプションを自分でつけるんです。総合医ほどオプションがつけやすい科目はないですよ。ぼくのオプションは「医学教育」です。こういったオプションを各自がつければよいわけです。
 総合医を希望する方のなかには、一回休職した方や他の科からの転科を考えている方も多いでしょう。でもなかなか踏み切れない場合もあります。そういった方には、「在宅診療からはじめてみよう」、と言いたい。まず一歩踏み出すことが重要ですが、どこに踏み出せばよいかわからなければ、ぼくは「在宅に一歩踏み出しなさい」と言います。そこから必ず広がるので。
そして自分自身のオプションです。ぼくは「医学教育」のオプションをどんどん広げ高めていくつもりです。総合医としてクリニックで患者さん一人ひとりに、じっくりと誠実に向き合って信頼関係を築く。
 そしてそれを医学教育の場で発表していきます。「サマライズ」や「LAST MESSAGE」は究極の発表の場ですから。
 学会で発表しろよ、って声もあると思います。でもぼくは医学教育の第一人者として、6,000名の学生の目の前で、本物のデータで本物の症例報告をする意義があると考えています。未来の医師に臨床現場の生の声を届けることに意味があるのです。
―― 「サマライズ」や「LAST MESSAGE」は、もはや試験対策を飛び越えて本当に貴重な場になっていますね。目の前の目標を達成するだけではなく、その先の未来をも見据えた学びの場、という気がします。
Dr.孝志郎:ぼくの根底には大学時代に知った、「6年のために勉強するのではなく、60年のために学びなさい ― Not for 6 years, but for 60 years ― 」という言葉があります。毎年メックの通学生にも、「浪人した1年を次の10年のアドバンテージに変えよう」と伝えています。

―― 最後に医学生と若手医師にむけてメッセージをお願いします。
Dr.孝志郎ファーストステップを大切にしましょう。そこを大切にすると10年後、ものすごい金の卵が産まれてくる可能性があります。ぼくのストーリーの始まりもファーストステップの「神経内科」。そこから白血病の研究や心臓外科に進化しているのです。
 そして、どんな形でもよいから、自らがやってきたことを形に残してください。キャリアとしてやってきたことを言葉で説明するのは誰にでもできます。でも、形に残している人と残していない人では、説得力が全く違ってくる。
 「形」とは、医師として「王道」な、「学術としての形」です。例えばぼくだったらサリドマイドPOEMSの論文。これで論文検索サイトに名前が残ります。掲載された日付も残る。後期研修時に内科認定試験を取得したのもひとつの形です。こういったcertificationを残していきましょう。20-30代にがむしゃらにがんばって、そしてしっかりと形を残してきた人は、40代以降、医師として揺るがない土台がしっかりと築かれているはずです。

■ Dr.孝志郎プロフィール ■
宮崎大学医学部卒。Dr.孝志郎のクリニック院長。2007年よりメックの講師となる。
類稀なる予想的中力と、わかりやすく聞き取りやすい講座、明るく楽しい人柄で、圧倒的な人気を誇るカリスマ講師。毎年国試直前に行われる「LAST MESSAGE」は、全国から約6,000名の医学生が参加する、圧巻のライブ講座。

 

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